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大阪地方裁判所 平成8年(ワ)10222号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、金六八〇万円並びに内金六四〇万円に対する平成八年五月二八日から、内金四〇万円に対する平成八年一一月九日から右各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを七分し、その一を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  受取金返還請求について

一  請求原因について

1  請求原因1、2(二)及び(三)の各事実は当事者間に争いがない(なお、右事実によれば、本件受取金返還債務は平成八年五月二八日に遅滞に陥ったものと認められる。)。

2  請求原因2(一)の事実について

《証拠略》を総合すれば、原告は、平成八年二月二〇日、被告事務所を訪ね、丙川を通じて、原告と被告は、本件公正証書遺言が本物であるか否かの調査及び花子との間で被相続人の遺産相続に関する一切の交渉をすること等を内容とした委任契約を締結し(「本件契約」)、調査費用として五万円を交付した事実が認められる。

以上のとおりであるから、請求原因2(一)記載のとおりの事実を認めることができる。

二  抗弁について

抗弁1の事実のうち、原告と被告が本件合意をしたことは当事者間に争いがなく、抗弁2の事実は当裁判所に顕著である。

三  再抗弁について

1  再抗弁1について

(一) 再抗弁1(一)(1)の事実について

原告は、丙川が、本件合意をなすに際し、原告に対し、「大変やったので、本当なら五〇〇万円くらいもらわなあかんのやけど、三〇〇万円にするから」などと申し向けた旨の主張をし、原告もその本人尋問において右に沿う供述をし、甲第一三号証にも同様の記載があるが、原告が大阪弁護士会紛議調停委員会に被告との調停を求めるに至った経緯を記載して申立補充書として提出した甲第五号証には右のような記載がないことに照らすと、右原告の供述及び甲第一三号証の記載はにわかに信用することができないのであって、他に右原告主張の事実を認めるに足りる的確な証拠はないのみならず、仮に丙川が原告主張の事実に類する発言をしたとしても、他に原告を欺罔したとするに足りる事情の認められない本件においては、報酬に関する合意をするに当たっての通常の交渉の範囲を著しく逸脱したものであるとまではいえず、右発言の事実をもって欺罔行為であるとすることはできない。

よって、再抗弁1(一)は理由がない。

(二) 再抗弁1(二)(1)の事実について

原告は、被告が、何らの事件処理報告も紛争解決の法的説明も、さらには報酬請求の根拠も説明しなかったことをもって、右が沈黙又は隠蔽による欺罔行為に該当する旨の主張をするが、弁護士法及び大阪弁護士会報酬規定(昭和三四年六月二〇日施行、平成四年五月二二日改正)には、報酬金の取決めの際に、報酬請求の根拠を依頼者に対して説明を求める旨の規定が設けられていないから、事件を受任した弁護士としては、事件処理経過及び報酬請求の根拠について依頼者に対して説明することが望ましいという点を考慮に入れても、報酬に関する合意をする際に事件処理経過及び報酬請求の根拠について依頼者に告知すべき義務まではないというべきであり、したがって、本件合意に際して、右各点について説明を行わなかった被告及び丙川の沈黙をもって民法九六条一項にいう欺罔行為があったとすることはできないというべきである。

よって、再抗弁1(二)は理由がない。

2  再抗弁2について

(一) 《証拠略》を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 原告は、被相続人の兄である甲野春夫の子であり、被相続人の甥にあたるが、被相続人夫婦は大阪市都島区に居住し、原告も大阪近辺に居住していたことから、原告が若いころから被相続人とは親密なつき合いを続け、一時は原告が被相続人夫婦の養子になる話が出たこともあったが、花子が数年前に入院した際に原告が被相続人の面倒を見なかったこともあり、被相続人夫婦は原告に対して失望感を抱き、その後、被相続人は花子に全ての財産を相続させ、又は遺贈する旨の本件公正証書遺言を作成した。

(2) その後、被相続人は、平成八年一月二日、死亡した。花子としては、右のとおり、被相続人の全ての財産を花子に相続させ、又は遺贈する旨の本件公正証書遺言があり、また、生前認識していた被相続人の意思も本件公正証書遺言の内容と異なるところはなかったが、被相続人が生前、五〇〇万円を原告にやると述べていた時期もあったことから、花子の判断で、被相続人の四九日の法要が行われた平成八年二月一八日、原告に対して三〇〇万円を渡した。

(3) 原告は、花子から右三〇〇万円を受け取り、また、平成八年二月ころ、本件公正証書遺言が実際に原告の手元に送付されてきていたが、原告としては、本件公正証書遺言の割印が合わないことや、本件公正証書遺言に署名されている被相続人の字体が被相続人の字体とは異なるものではないかと思ったことから、本件公正証書遺言が本物であるか否か疑問を感じ、弁護士に本件公正証書遺言が本物であるか否かの相談をすることとした。

(4) そこで、原告は、弁護士の知り合いがいなかったことから、原告の息子である甲野三郎(以下「三郎」という。)がタウンページで見つけだした被告事務所に電話をし、平成八年二月二〇日、被告事務所を訪れた。その際、被告は不在であったものの、丙川が原告の応対をし、原告は、丙川を通じて、被告との間で、本件公正証書が本物であるか否かの調査及び花子と被相続人の遺産相続についての交渉をすること等を内容とした委任契約を締結し、原告は、丙川に調査費用として五万円を交付した。

(5) そこで被告事務所では、原告の戸籍謄本や住民票を取り寄せる等の調査はしたものの、それ以上に本件公正証書遺言の有効性については特段の調査をすることはなかった。

なお、被告は、公正証書遺言が作成された公証役場に赴き公証人に問い合わせをし、また、東洋信託銀行に赴き遺言のいきさつや経緯について調査した旨の供述をするが、《証拠略》に照らし、信用できない。

(6) 平成八年三月四日ころ、花子に対し、被告から、被相続人の相続に関する一切の委任を原告から受任した旨記載された受任通知書が送付された。これに驚いた花子が被告事務所に電話をしたところ、被告事務所に来るよう求められ、同月八日、花子は被告事務所を訪ねた。花子が被告事務所を訪ねた際、被告は不在であり、丙川が花子と被相続人の遺産相続についての交渉をしたが、原告から具体的な金額の提示がないということで、その日は比較的短時間で終了し、丙川から後日花子に連絡することとなった。その後、同月一〇日ころ、丙川から花子に対して電話があり、そこで、花子は、甥である原告とこれ以上紛争をしたくなかったことから、既に支払済みの三〇〇万円を含めて合計一〇〇〇万円までであれば原告に支払う旨の申し出をした。丙川は、これを承諾するか否かの即答はしなかったものの、手付として二〇〇万円をまず支払うよう求め、同月一二日に丙川が花子宅を訪問することとなった。

そこで、同月一二日、丙川が花子宅を訪問し、被相続人の遺産相続に関し、花子が原告の遺産相続分として既払済みの三〇〇万円に加えてさらに七〇〇万円を支払うことで和解契約が成立し、同日、花子は丙川に対して二〇〇万円を手渡し、また、同月二七日、花子は残額の五〇〇万円を被告に送金して支払った。

被告は、被告自身が花子と直接交渉した旨の供述をし、一方、証人花子はこれを全面的に否定する供述をしているところ、証人花子は丙川と交渉した経緯及びその内容等について具体的かつ詳細な供述をしている上、証人花子がこの点についてことさら虚偽の供述をしなければならない特段の事情も認められない本件においては、証人花子の供述と抵触する被告の右供述はたやすく信用することができない。

(7) 他方、原告は、被告から特段の経過説明等もなく、また、花子との間で和解契約が締結されたことも知らされていなかったが、丙川から原告宅に電話があり、被告の都合がついたので同年四月二六日に被告事務所に来て欲しい、被告から説明する旨の要請があった。そこで原告は、同日、被告事務所を訪ねると、被告は不在で、丙川から、花子より七〇〇万円を取得した旨の説明を受け、また、原告は、丙川を通じて、被告との間で本件に関する弁護士着手金、報酬金及び諸経費を合計三〇〇万円とすること、及び、被告が花子から受領した七〇〇万円から、右三〇〇万円を差し引いた四〇〇万円を同年五月一〇日までに原告の指定する銀行口座に振り込む旨の本件合意をした。その際、原告は、丙川から弁護士着手金、報酬金及び諸経費に関してなぜ三〇〇万円となるのかの特段の説明を受けることはなかった。

(二) ところで、大阪弁護士会では、大阪弁護士会報酬規定が制定・施行されているところ、大阪弁護士会所属の弁護士が当然に右弁護士報酬規定に拘束されるものではないが、右規定は、大阪弁護士会が、各時点における弁護士の業務内容、経営実態、弁護士報酬に関する社会通念等諸般の事情を考慮して、弁護士の報酬として相当な金額を規定しているものであることからすると、右規定の内容は、報酬契約が公序良俗に違反するか否かの重要な判断要素の一つになるというべきであり、右規定に、当該事件の難易度、依頼者にもたらす経済的利益及び弁護士が事件処理のために現実に要した時間・費用・労力の程度等諸般の事情を考量して、弁護士との報酬契約が有効かどうかの判断をすべきである。そこで、本件合意が有効かどうか検討するのに、大阪弁護士会報酬規定によれば、経済的利益の価格が七〇〇万円の場合、訴訟事件における着手金及び報酬金合計は一二七万円とされ、ただ、事件の内容によりその三〇パーセントの範囲内で増減することができる(同規定一五条一項、二項)とされているところ(なお、同規定五条二項には、依頼を受けた事件等が特に重大又は複雑なとき、審理又は処理が著しく長期にわたるとき、もしくは受任後同様な事情が生じた場合は、右各規定にかかわらず、弁護士報酬を公正かつ妥当な範囲内で増額することができる旨規定されているが、本件が右規定に該当しない事案であることは明らかである。)、本件では、本件契約は訴訟事件に関する委任ではないが、仮に訴訟事件であったとしても、右各規定にあてはめると、着手金及び報酬金合計は最高でも一六五万一〇〇〇円であるにもかかわらず、本件合意は三〇〇万円であり、右金額を大きく上回っている。そして、前記第一、三の2で認定のとおり、(1)花子は早期解決を望んでおり、実際に三月四日に受任通知書が花子に送付されてから三月一二日に和解契約が締結されるまで九日間しか要しておらず、有効な公正証書遺言の存在により原告に被相続人の相続権がなかったとしても、本件事案は容易な事案に属するというべきであること、(2)原告の取得した経済的利益は七〇〇万円であるのに対し、本件合意では弁護士報酬が三〇〇万円とされ、原告の取得した経済的利益の四〇パーセント以上が弁護士報酬額とされていること、(3)被告事務所の行った調査は戸籍謄本及び住民票の調査にとどまっているのに加え、花子との実際の交渉は、弁護士ではなく事務長が行っており、その事務長の交渉内容も、花子に事務所への来所を依頼して被告事務所で花子と短時間交渉したこと、電話で花子と金額について交渉したこと及び最終的な合意と前金を受け取るために大阪市都島区に所在する花子宅を訪ねたことにとどまっており、被告が本件事件処理に要した時間、費用及び労力は極めてわずかなものにとどまっているといえること、以上の事情を総合勘案すると、本件合意は、暴利行為として全部無効であるというべきである。

しかしながら、本件合意が暴利行為として全部無効であるからといって、原告と被告が本件契約に基づく弁護士業務に対する報酬の合意をしなかったと解するのは相当でなく、原告と被告が本件合意をした平成八年四月二六日の時点で、少なくとも、原告が被告に弁護士報酬として相当な範囲の額の報酬を同年五月一〇日までに支払う旨の黙示の合意をしていたものと認めるのが相当であるところ(被告は、予備的にかかる主張をしているものと善解すべきである。)、被告が受けるべき着手金を含めた弁護士報酬として相当な金額は、大阪弁護士会報酬規定(同規定一五条、二〇条及び一九条)及び右のとおりの本件事案の性質を考慮して、六〇万円とするのが相当である。

四  そうすると、被告の抗弁は、報酬請求権六〇万円を自働債権として、原告の本訴請求にかかる受取金返還請求権七〇〇万円を受働債権として、これを対当額で相殺する限度で理由があり、したがって、原告の右受取金返還請求権は六〇万円の限度で消滅したものというべきである。

なお、原告は、右相殺の相殺適状を争うが、右自働債権たる被告の報酬請求権の履行期が特約により平成八年五月一〇日と定められ、かつ、被告が右相殺の意思表示をした当時、右履行期が既に到来していたことは明らかであるから、原告のこの点に関する主張は採用することができない。

第二  損害賠償請求について

一  被告が七〇〇万円を花子より受け取った事実、右金員を被告が原告に返還していない事実、被告と金井塚弁護士とが話し合いをした事実及び大阪弁護士会紛議調停委員会において調停が行われた事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、《証拠略》を総合すれば、次の事実が認められる。

1  本件合意では平成八年五月一〇日までに七〇〇万円から報酬額の三〇〇万円を差し引いた四〇〇万円を原告の指定する銀行口座に振り込んで支払うこととされたが、平成八年五月一〇日を過ぎても被告から入金がなかったことから、原告の妻である甲野春子(以下「春子」という。)が被告事務所に電話をかけ、いまだ四〇〇万円を入金していない理由を問いただしたところ、丙川は、原告が平成八年五月一〇日までに被告に会いに来てくれなかったから入金しなかった等を答えるにとどまり、合理的な説明をしなかった。そこで春子は、被告に騙されたのではないかとの疑念を感じ、大阪市の天王寺区役所が開催していた法律相談において、公正証書遺言や弁護士の報酬規定等について右区役所の法律相談を担当していた金井塚弁護士から説明を受け、同弁護士から本件契約における被告の報酬額の根拠等について被告から更なる説明を受けるべきとの助言を受けた。

2  そこで、原告、春子及び三郎は、同月一四日、被告事務所において被告と会い、三〇〇万円の報酬の根拠等についての説明を求めたが、被告からは合理的な説明を受けられなかった。このため原告は、さらに、同月一五日から同月一七日にかけて、被告事務所に一〇回程度電話をし、被告との面会を求め、また、報酬の根拠等についての説明を求めたが、被告に電話がとりつがれることはなく、また、被告から電話がかかってくることもなく、結局、被告から報酬の根拠についての合理的な説明を受けることができなかった。

3  そこで、春子及び三郎は、原告の意を受けて、同月二〇日、大阪弁護士会の市民苦情相談窓口で相談し、その際、大阪弁護士会紛議調停委員会への紛議調停の申立てを勧められ、原告は、同月二三日、大阪弁護士会に紛議調停の申立てを行った。

4  その後、同月二八日、原告から委任を受けた金井塚弁護士と被告との間で、大阪弁護士会館において、交渉が行われたが、被告は、三〇〇万円から多少の減額はする旨の申し出をしたものの、右三〇〇万円のみならず四〇〇万円についても即時返還を拒否した。

5  また、大阪弁護士会の紛議調停委員会における調停においても、被告は、四〇〇万円の即時返還も拒否し、平成八年九月二〇日、右委員会は、調停不成立により終結する旨の決議をなし、同月二五日ころ、原告に通知された。

6  その後、同年一〇月八日、本件訴訟が提起された。

二  そこで、被告の右態度が不法行為に該当するのか否かについて検討するのに、前記第一、三、2の(一)で認定の事実によれば、被告は、花子との和解契約締結により、本件契約に基づく委任事務を終了し、その受取物である七〇〇万円の返還義務を負担しているところ、仮に本件合意が有効と仮定しても、弁護士として、平成八年五月一〇日までに少なくとも四〇〇万円を返還すべきであって、これを拒むいかなる理由も存在しないことを知悉しながら、あくまでも右四〇〇万円を原告に返還しようとしなかったものであって、その結果、原告は本件訴訟の提起を余儀なくされたものであるから、かかる被告の行動態度はそれ自体不法行為に該当するものというべきである。

したがって、被告は、民法七〇九条に基づき、後記三で認定の損害を賠償すべき義務がある。

三  すすんで、被告の右不法行為による損害について判断する。

1  原告は、原告訴訟代理人である金井塚弁護士に本件訴訟の提起とその訴訟進行を委任せざるを得なかったのであるから、被告は、これに要した弁護士費用相当損害金を賠償すべき義務があるところ、被告の不法行為と相当因果関係のある弁護士費用相当損害金は四〇万円と認めるのが相当である。

2  次に、原告は、被告に対し、慰謝料として五〇万円の支払いを請求するが、被告の不法行為によって被った原告の精神的苦痛は、原告が本訴請求にかかる受取金返還請求権七〇〇万円のうち六四〇万円を認容される判決を受けることによって、通常は慰謝されるものと認めるのが相当であり、本件の全証拠によっても、原告が右認容判決を受けてもなお慰謝されない精神的苦痛を被ったもの(かかる精神的苦痛は特別事情に基づく損害というべきである。)と認めることはできない。

したがって、原告の慰謝料請求は理由がない。

第三  結論

よって、原告の本訴請求は、主文第一項の限度で理由があるから認容し、その余の請求は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六四条、六一条を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 三浦 潤 裁判官 増田隆久 裁判官 谷村武則)

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